家族ということ
原稿何とか書き終えた。明日、明後日とこれを寝かして、少しずつ推敲して、締め切りの 2/29 (Wed) には提出しましょう。
その傍らで、やっぱりこんなことを考え続けていた。家族を持つってどういうことですか。
いろいろあったけど、結局のところ、幸せな人生だったよ、ありがとう。
と、死の床で配偶者に感謝することができるか。共に暮らすとはそういうことじゃないかな、と思っていた。その願いはもうかなわない。どうしてこんなにかわいそうな境遇なのだろう。いや、私のことではない。
これはそんなにも高望みな願いなのでしょうか。そうかな、その願いをかなえるためにはそれ相応の努力も必要か。辛抱・我慢も必要か。私にはそれがなかった。
ちょうど一週間前の今頃は包丁と格闘していた。おかしな言い分だが、あの時、私たちは確かに「生きていた」。逆説的に、生の実感があった。
翻って昨日と今日。ほんの数時間ずつを小さい人と二人で過ごした。彼はそれに満足してバイバイしていった。私はその後、先述のように携帯の機種変更を断念し、発熱し、ピンクフロイドに走り、原稿を書いた。そして今、発熱は続いているもののおそらくインフルエンザではないことに安堵しつつ、自分の残りの人生を考えている。
かわいそうでならないのだ。生を止めてあげるのが一番幸せな気がしてならないのだ。誰かこの言い分を論破してくれないか。