私はどういうふうになりたいのか、ということについて (1)

 私が望む「幸せ」ってなんだろう。私はどうなりたいのだろう。不惑を過ぎて、今さらそんなことを考えていてどうする、まだわかんないのか、って突っ込まれそうですが、わからないのだから仕方がない、惑い続けている。
 書きながら考えていこう。



 そもそも私は研究がしたかったわけでもないし、サイエンスがしたかったわけでもない。10 台のころに望んでいたのはただ単に、「この田舎を出ていきたい」ということだけでした。田舎の閉塞感が好きになれなかったし、いわゆる「監視されてる感」にも息が詰まった。人づきあいが嫌いだったんですね(今もそうだけど。。。)。だから、「都会」に出て、二人で(もちろん、三人以上でもいいのだけど)ひっそり生活をしたいと願っていた。
 それもあって地元の高校には行かずに隣県の私学に進学したのだ。
 いろいろあって大学院修士課程を 1 年で中退した時、もちろん、製薬会社に就職するつもりもなかった。プログラムを組むのは得意だったから当時住んでいた近くのソフトハウスに就職しようとした。2 社、面接に行った。どちらも従業員 10 名以下の小さな会社だった。なぜここに就職したいと思うのか、としつこく聞かれた。明確な理由などなかった。その業種以外、自分にできることはないと思っていた。当然の流れとして、2 社とも縁がなかった。そうか、となんとなく納得してアルバイト情報誌をめくり、すぐ近くの工場のライン作業員のバイト口を見つけた。面接に行ったら(当然?)即採用だった。嬉しかった。これで生活していける、と。
 しかし、その当時、そう、その時点で、私は「二人」の生活を始めるつもりだったのだが、結果として、実はその時点ではその「相手」はもう私のもとを去っていたのだ。それに私は気づいていなかった。現実を知るのはその半年ほど先のことなのです。

 話を戻します。その頃私は何がしたかったのか。田舎を離れる夢はかなっていた。周囲に、自分のことを知る人は誰もいない。気楽だった。
 だけれども同時に、私は「愛」を求めていた。ないものをねだっていた、と言うに近い。20 何年間、私は一人だった。何と書けばいいのだろう、あいまいに、あるいは、ある意味で露骨に書くならば、私のことを好きだという異性はそれまで一人もいませんでした。いや、その後だってまだしばらくそういう状態は続きました。最終的に、31 年間、だった。
 さて、31 年たって、ようやく私のことを「好き」と言う人が現れた。お互いにそう想う人がようやく現れたのです。

 続く。