役員

ま、あれよね。学会の役員なんかになると得意げに投稿する人がいる。嬉しいんならそのように書けばいいのに。私もここまで偉くなったんだぞ、と。
たまたま、とか、思いがけなくも推挙されて、とか、見苦しい。
何とも思ってないのなら書かなければいいのに、書きたいんだろうな。自慢もしたくなるでしょうよ。
ふふふ、まあこれ以上は言うまい。私は愚痴やらを言うのが仕事。

例の「200 回」の話

小保方氏のSTAP200回成功、「自家蛍光」か
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO76474840R00C14A9TJM000/
私は素人だからよくわからないけれど、そういうものなのか。プロの世界は奥が深い。万能性の証拠か、自家発行か、そんなことまでわかるんですね。
こういう記事を見ると、「私も最初からそう思ってた」「あの記者会見を見たときにすぐわかった」と今になって言い出す人がいますね。面白い。そのときに言えばいいのに、忙しいんでしょう。あるいは「この論争はもう(自分の中では)決着がついているから時間の無駄なので何も発現しない」とか。それならそれで無視を通せばいいのに。あ、暇になったのか。そうか。
そんなことを思ってたら驚いた。本当に、そうコメントしてる人がいるのですね。すごいなあ、さすが評論家。
ところで、この記事はどうして、今頃に日経に載ったんだろう。また、誰が書いてるんだろう。科学帰社か。有料電子版記事が読めないからこれ以上のことはわからない、なんて、今の時代にあり得ないリテラシーの低さを誇る私。さて、そんな、プロではない人が書いた記事に載っかってようやくコメントを出すのってプロとして恥ずかしいなあ。

職種

営業と回答する。
売り込みに言ったり、ご要望を伺いに行ったり、苦情を聞きに行ったり。謝ったり。セミナーのチラシを配ったり。
契約書のやりとりをしたり。この文言を一部修正してくれ、と日本語で言われて、全くわからない法律用語で英語にしたり。
この書式がおかしいと言われて、申し訳ございません、と直したり。



愚痴を言っているわけでも、私がやりたいのはこういう仕事ではないと言っているわけでもなくて、私は結局のところもうこういう仕事しかできないのだなあ、と。もう、サイエンスもほとんどわからなくなってきたし。
あはは、単なる努力不足だ。

なぜ、生き続けなければならないんだろう。おもしろいこと、楽しいこと、わくわくすること、興味が持てること、もう何も残ってない。
責任感がありすぎて、それがこうじて depression になるというパターンではないのが救いか。
でも、後半部分は似たようなものだ。
でも、最後に、

家に帰ると暗がり。大動物が闇に潜んでいる。一人でもそもそ食事をするこちらをじっと見ている。何も言わない。
家族は大事です。家族の看病を第一に考えてください。
くそくらえ。
今日の打合せも不首尾に終わり、帰宅しても何ともならない行き詰まり。
一ヶ月も過ぎた。どうなっただろうか。