2013 年その 2

怒ってはいないけれど、自分自身が歯がゆいし情けない。自分を責めるのみ。
何人もが離れていった。何人もが同じように離れていくんだから私の方に原因があるわけで。
これからももし同じことを繰り返すんだとしたら、その無限に耐えられなくて、私はもう生きていたくない。
生きることに、楽しみなんてもうもちようがない。どうすればいいんだろう。

Xmas

理不尽なお叱りに耐えるのも社会人の務め。「それは私の仕事じゃないんで」と官僚みたいなことは言わない。
で、行くところなくてマクドナルドで 390 円の夕食をとっている。
例年こんな感じだな。今年はいっそう寂しい。

たまたまみかけた介護の記事

小池真理子 介護した父が最後まで性求めていたことに感動
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131223-00000005-pseven-life

しかし、もっとも大変だったのは、自分のモチベーションを保つことだったと振り返る。
(...)
自分の心を喜ばせるための工夫をしなければ、いつまで続くかしれない介護生活を乗り切ることはできません。そこに罪悪感を抱くことなど、まったくないと思います。

今日の本、とか

キリスト教の神とは『愛』を人格化したものである」との断言が心地よい。

日々、月々、年々、できることが少なくなっていき。
しかし、この病そのものでは死には至らない。
うつ病そのもので死んだりすることはない(から安心して)」と言われることがある。たとえば、これでも書いていた。自殺さえ踏みとどまればなんとかなる。
でも、それが苦しいんだし、周りも同様。「寿命」の時まで「終わり」はないんです。介護者による自殺幇助の問題であり、心中の問題でもある。