私はどういうふうになりたいのか、ということについて (2)

 昨日書きもらしたこと。それは、私は大学時代に何をしていたのかということ。最初の 2 年間はほとんど本を読んでいた。友達は一人もいなかった。友達どころか、話をする人さえいなかった。あの年、受験制度改革の影響で入学生がひどく多く、1 クラス 60 人ほど在籍していた。今では、その誰の名前も知らない。私は孤独を楽しんでいた。
 3 年生になり専門課程に進むとさすがに知人もできる。だけど、何かをして遊んだ記憶はない。あ、一回だけ「合コン」なるものに参加したなあ(^^)。渋谷の店に行った。その一回だけだ。
 その頃、私は何になりたかったのか。学問をしたいとは思っていなかったくせに、何ゆえにそんな大学に進んだのか。それは言ってしまえば、よく言われるところの「勉強ができた」からにすぎない。目的があったわけではないのだ。研究というものがそんなに好きなわけではない。だから研究室での生活が合わなかった。そして、ためらいもなく、辞めたのだ。
 その頃、私は何がしたかったのか。将来、何をしようと思っていたのか。多分、何も考えていなかったと思う。カッコよく言えば、モラトリアム。思考放棄の時だった。だって、何ができるか、自分でもわかっていなかったのだ。何かがしたいというわけではなかった。要は、何かをしてひっそり生活できれば良かったのだ。そう、一人でなく、二人(以上)で。
 でも、相変わらず、その望みがかなう見通しはなかった。