今日の本

 戦前しきりに小説を読んでいた私は,簡潔な名文を書く作家として志賀直哉を深く尊敬していました.
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 彼が日本語でいかに苦闘したか,その努力がいかに大きかったかは推測することができます.
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 (英語を国語に採用していれば,万葉集源氏物語もその言葉によって今よりは遥か多くの人々に読まれていたろう,と志賀直哉が書いた*1ことに対して)おそらく彼は『源氏物語』など読んだことがないのでしょう.志賀直哉には「世界」もなく,「社会」もなく,「文明」もありはしなかった.それを「小説の神様」としたのは大正期・昭和前期の日本人の世界把握の底の浅さのあらわれであるでしょう.
 では志賀直哉は本質的に何だったのか.「写生文の職人」だったのではないか.名工でも職人は世界のことなど考えに入れない.たしかに彼は明晰な文章を書いた.しかし,文章が明晰に書けることと,何を書き,何を扱うかとは,別のことでありうるのですね.

*1:志賀直哉,国語問題.検索